遅かったので短めに
哲学の話
道徳的な観察が道徳の理論を前提に成り立つかっていう話
わけわからんです
例えば、霧越しに陽子を見たことにならないって言われるのは、陽子が小さすぎて見えないから。
一方で、奴隷制度の悪を目で見ることができないのは、根本的に「悪」を観察することはできないから。数値化できないから。
道徳が扱うのは「べき」であって、観察可能な「ある」ではないってことらしいですね。
「ある」を「べき」と解釈しようとする人は「自然に起こることはいつも正しい」という考えに至ることがあるようです。
強いものが弱いものを制するのは自然ですが、正しいかと言われると違う気がしますね